レアメタルが見た昭和史

戦後の工具需要と日本の工業の復活 -昭和25年-

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昭和25年 1950年
関東財務局の終戦処理物件入札のうち、特殊鋼の払い下に参加するも、わが国の特殊鋼の生産は未だ回復しておらず、メーカーへの納入には至らず。

しかし、当時の特殊製鋼株式会社 石原米太郎社長に特殊鋼の重要性を説かれ、特殊鋼スクラップの回収に着手。

この年6月朝鮮動乱勃発、一気に総ての特殊鋼メーカーの生産が回復、特需の中、当社も積極的に特殊鋼のスクラップを回収、選別し納入を開始する。

関東財務局の払下品に工具の未使用品が出た。
日本中の工場から払下の運動が起きた。
工具不足はどの会社でも深刻になっている。
工具としての有効利用は当然であると誰しも考えた。

しかし前述石原社長を中心に日本特殊鋼(株)、日立製作所(現日立金属株式会社)日本高周波鋼業(株)、大同製鋼(株)、山陽特殊鋼(株)など10社が製鋼原料としてスクラップ化を申請、理由として製鋼メーカー、工具鋼メーカー等、一連の工場の復活とより良い技術でより良い工具を供給するため原料として必要であると。

この結果、日本国内総ての財務局の工具、高速度鋼、ダイス鋼などの特殊鋼を各メーカーにスクラップとして払下が決まり、品質と価格評価のため、当社が検収、発送、納入を委託された。約2年間掛かり北海道から九州まで7財務局の物件を整理する。

当時は鉄道の切符の購入も容易でなく、遠距離夜行列車となると数日前から並び、30時間の旅は大変である。

また、落札工具屑の搬出、トラックの手配、時には馬車を集め、また貨車の手配も容易ではなく、メーカーに納入するまでの当社として責任は多大であった。

当時、高速度鋼屑はアメリカ輸出が旺盛で、それもそのはずで国内価格との格差はあまりにも大きく、大まかに国内価格80円―100円/kgに対して輸出価格は$800/頓位で横浜より輸出されていた。

また、ニッケルはニッケル懇話会を通じ割り当てがあるが、絶対数量は不足で、割り当て価格約700円―800円/kgが2,500円―3,000円で流通しており、インチキ電解Niが多く流通した。Ni系屑は耐熱鋼が主流で、ステンレスは進駐軍の食器類ぐらいであった。

しかしながら、まだ戦後まもなく総てのレアメタルはTQをメーカーのみに割当てられていた。

当時の製鋼メーカーは外部購入屑の経験が無く、スクラップの形状、安全性、成分など、確認事項は多岐にわたった。その為、いち早く化学分析室を設置した。当時は分析機関も無く、メーカーに依頼する以外に手段が無く当社の分析装置は納入会社からも重宝がられ、また、信頼を得た。
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レアメタルが見た昭和史
昭和13年序章
昭和25年終戦処理物件入札始まる
昭和28年朝鮮戦争終結
昭和30年宝町営業所開設
昭和33年Fe-Ti製造
昭和34年関西営業開設
昭和35年4月赤羽へ移設
昭和35年5月X線分析機導入、スクラップ輸入始まる
昭和35年8月山王製鋼での委託溶解開始
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